開創一四〇〇年
羽黒山修験道の正統を
今に伝える修行の道場
能除聖者を開山と仰ぎ、
羽黒山を拠点に
出羽三山を道場として修行する
羽黒修験の本山寺院です。
能除聖者の名は能除が「聖」として仏道修行を行っていたことにちなんでいます。神道を中心とした国作りを行おうとした明治政府の政策により、神道と仏教が混淆する山伏達の活動は禁止され、羽黒山では多くの寺院が破壊されました。しかし羽黒山荒澤寺正善院は苦難の時代を生き抜き、伝統的な観音信仰や修験道の儀礼、儀礼に含まれる修験道の思想を現在に伝えています。国指定の重要文化財である黄金堂は、羽黒山頂の大金堂(現・羽黒山三神合祭殿)に対する、麓の小金堂として位置付けられていました。三十三体の観音像が黄金に映えることからこの名で呼ばれています。また羽黒山で江戸時代までお祀りされていた羽黒山寂光寺の本尊、羽黒山五重塔の本尊、鏡池の本尊は、明治以降、黄金堂に移されており、現在でも大切に祀られています。また、江戸時代に庶民から絶大な信仰を集めた於竹大日如来を参拝することもできます。