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  2. 藤島八色木ご開帳

江戸時代より初!
藤島八色木ふじしまやいろぎ降り立った鳥海山の秘仏 
寅歳御縁年ご開帳~羽黒山 荒澤寺  山伏衆による特別祈祷~ 

江戸の昔※の建立以来、村人たちからささやかに、大切に守られてきた薬師堂。いま、336年の時を経て、令和初めての寅歳御縁年を期に、一般の皆さまにも期間限定で初開堂。※貞享3年(1686)

酒井入部400年、明治維新150年の激動を乗り越え受け継がれてきた、先人たちの古きよき鳥海山のかみほとけの信仰のすがたを、混迷の続くこの新しき時代に向けて。鳥海の山から八色木の地へ救いの手を差しのべた御仏の光がいま、すべての人にふりそそぐ。

御開帳期間 令和4年5月8日(日)~10月17日(月)
開堂日 毎月8日・12日・17日
※8月は17日のみ
※10月は16日を加える、17日は14時~15時閉堂法要
拝観時間 10:00~12:00/13:00~15:00
入堂拝観料 500円
皆様から拝観料・御朱印料・御祈祷料等にて頂戴した御浄財は、
境内の整備保全に役立てさせていただきます。
このたびの御開帳へ、多くの皆様の御参拝をたまわり、
お薬師さまとの尊い御縁を結んでいただきますことを心よりご祈念申し上げます。
場所 八色木薬師堂
※薬師瑠璃光如来堂で検索
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駐車場 このご開帳に際し、八栄島公民館駐車場を臨時駐車場としてお借りしております。車でお越しの方はこちらをご利用ください。路上駐車は絶対禁止ですので、ご協力をお願い致します。
駐車場MAPはこちら
感染症対策 新型コロナウイルス感染対策をしております。
堂内に入れる人数が限られておりますので、混雑した際は入堂を制限致します。
密を避ける為お待ち頂くこともあります。係りの者の指示でご入堂にご協力をお願い致します。

当日、せき・鼻水などの風邪症状や37.5℃以上の発熱症状のある方は入堂をお断り致します。
堂内に入る際は、手指消毒と、マスクの着用をお願い致します。
感染拡大等により開堂の日程が変更される場合がございます。

中寅ちゅういん大祭

~千里って千里かえる、虎のごとく勢いに乗る~

俗に、虎は「一日に千里の遠くへ行き、また戻ってくる」と言われ、勢いが旺盛なことの象徴とされます。また、毛皮の黄と黒の縞模様から、金運・財運とも結びつけられ、株式市場の関係者からは「寅年は株価が大きく跳ね上がる年」とされてきました。
当薬師堂では例年、8月17日に御祭礼を行ってきましたが、本年の8月17日は、今年の干支と同じく「壬寅みずのえとら」にあたります。また8月は、寅の月・2月のちょうど反対側の対冲たいちゅうにあたる申の月ですが、申は寅の持つ勢い同様、「果実が徐々に成熟する様子」を表し、一年初頭にはじめたことが段々と軌道に乗ることを意味します。
この度、薬師堂建立から336年来、初めてとなる一般開堂を記念して、本年の御祭礼は特別に、「寅の中の寅」を表す「中寅ちゅういん大祭」と銘打って盛大に催行いたします。
コロナ禍の続く不透明なこの先、力強く乗り切る活力と、実り多き成果をお望みの皆様には是非、この年この日ならではの特別・特上の御祈祷をお受けになり、今年一年、残り後半も虎のごとく強運に、旺盛な勢いでお過ごしいただきますよう、奮ってご案内申し上げます。

日時 令和4年8月17日(日)

11:00~12:00 壬寅特別祈祷(特別祈祷10,000円)
※特別祈祷申込みの方には、内陣拝観および秘仏宝前で特別加持と特別記念品を贈呈いたします。
(先着8名・申込人数達し次第受付終了)

14:00~16:00 御開帳一般開放
※獅子舞は中止になりました。

御朱印

貞享3年(1686)、現在の地に薬師堂が建立されて336年来、初めて御朱印申込をお受けします。
用紙には大変貴重な地元産『荘内和紙 しな和紙』および、正善院の於竹大日堂にゆかりある、東京・日本橋の老舗紙店『小津和紙』を使用。(数量限定)
・書置きのみ・各500円御志納 

秘仏本尊「薬師尊」
(荘内和紙 しな和紙)
※お一人様一枚・限定数量達し次第

秘仏本尊同体御変身「神農尊」
(荘内和紙)

秘仏本尊守護「十二神将」
(小津和紙)

秘仏本尊御神号「鳥海山大権現」
(小津和紙)

御祈祷

ご祈祷料 ・普通祈祷 2千円(読上げ祈祷と御守)

・特別祈祷 1万円(1尺2寸木札)
(予定人数達し次第受付終了)

・特上祈祷 12万円
(地元檜材の特大木札。長さ約90cm×最大横幅20cm、 同上先着5名)
時間 9:30~10:00 祈祷(※要予約)
15:00~15:30 祈祷(※要予約)
お申込※祈祷ご希望の方は、普通祈祷・特別祈祷の方は2日前まで 
特上祈祷の方は1週間前までに薬師堂内で直接、もしくは羽黒山正善院までお電話でお申込みください。 
ご祈祷後、お札をお渡しいたします。郵送ご希望の方もお申し出ください。

八色木薬師堂について

八色木薬師堂は、羽黒町手向にある羽黒山正善院の飛び地境内で、今から三百年以上も昔の不思議な御縁によって地元の海藤家が管理する、薬師如来をお祀りする御堂です。

御堂には、中心となる薬師如来の他、仏を守護する十二神将、中国の医薬の神様・神農尊をお祀りしております。ここ八色木地区のある旧藤島町は、北に鳥海山を望む、庄内平野の内陸の中心部に位置し、同じく内陸の羽黒や余目と、沿岸の酒田方面を結ぶ交通の要衝でもあったため、江戸期には庄内松山藩の大名行列の休憩地として栄え、薬師堂は地区の人々の心の拠り所として大事に守られてきました。

ここに薬師堂が建てられたのは、延宝5年(1677)、落野目村(現・鶴岡市豊栄)の水田から一寸八分(約5.5cm)の薬師如来の御像が発見されたことにさかのぼります。その後、御像は水田の地主だった日向三左エ門によって屋敷内に御堂が建てられ、毎月8日に僧侶を呼んで手厚く供養されていましたが、次第に家内に不調を訴える者が続出したため、神子(巫女・女性霊能者)を呼んで占ってもらったところ、「自分は本来ここではなく八色木村の海藤徳右エ門に祀られるために現れたのだ」とのお告げがありました。そしてお告げから数年たった貞享3年(1686)の丙寅歳、八色木の海藤家によって現在の地に立派な御堂が建立されることとなり、大祭礼の催される12年ごとの寅歳の御縁年には、毎回盛大に御開帳供養が営まれ、獅子踊りや相撲などが奉納されてきました。

本年、令和4年(2022)は薬師御尊像が落野目の水田から御出現になった延宝5年(1677)から数えて三45年目にあたり、現在地にお祀りされるようになった貞享3年(1686)から数えて336年目の御開帳となるのを機に、広く一般の皆様にも開堂させていただく運びとなりました。

薬師如来について

薬師如来とは、その名の通り、仏様が私たちの心身の悩み苦しみを迅速に診断し、適切に薬を処方して治療してくれる医師のようであったことから、「薬師」さまとお呼びします。また、仏様の救いの光が瑠璃色(深い青色)のようであったため、正式名を「薬師瑠璃光如来」とお呼びしております。

薬師さまは、私たちの住む苦しみに満ちた娑婆しゃば世界から、はるか遠く東に離れた「浄瑠璃じょうるり世界」という土地を主宰しておられる仏様で、同じく西方の「極楽世界」という土地を主宰される阿弥陀さまと同様、私たちには大変なじみ深い仏様です。薬師さまは、修行して成仏なさる前に十二の御誓願(十二大願)を立てられたことが経典に説かれていますが、その中でも「心身の病に苦しむすべての人々を救いとりたい」という第七番目の願目がとくに有名で、全国各地の薬師如来をお祀りする寺院には、この御誓願におすがりして病気平癒を祈願する多くの参拝者が訪れています。

薬師さまの功徳が説かれる経典は様々なものがありますが、こうした「十二大願」の他、「鎮護国家(天皇や朝廷が安泰となり、国土に災害や兵乱が起こらず平和となる)」という徳目も説かれていたため、古代日本では特に重視されてきました。特に東北地方は、大和朝廷の支配に対立する人々(蝦夷)との境界地だったため、兵乱が起きないよう薬師さまの御像が数多く造像され、熱心な祈りがささげられてきました。

ここ庄内地方においても、鳥海山から北側は蝦夷が支配する地域だった時代もあり、こんにち「鳥海山」として親しまれる、日本海沿岸にそびえたつ、この高いお山の神様(大物忌神)は、実は薬師如来が仏としての姿を変え、神として山に鎮まっておられる、という信仰が形成されました(神仏習合)。

こうして鳥海山は、山から流れる川の水によって地元の人々にさまざまな恵みをもたらす豊漁・豊作の神、噴火をもたらす恐ろしい火山の神であると同時に、鎮護国家の仏として都の人々からも篤い崇敬を受けてきました。

そして、御山を拝礼する神社や仏閣が鳥海山の山麓の各地域ごとに建立されましたが、ここ八色木も、貞享3年(1686)に御堂が建立されたことをきっかけに、遠くに見える鳥海山を里から間近に拝むことのできる礼拝所として、仏教の御堂でありながら神社の鳥居が立つ、古くからの信仰の形式を残す貴重な御堂として名残をとどめています。

十二神将について

十二神将は、薬師如来を時計と同じ十二の方角(子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥)、十二の時間にわたって守護する夜叉(鬼神)の大将たちのことで、宮毘羅くびら伐折羅ばさら迷企羅めきら安底羅あんちら頞儞羅あんにら珊底羅さんちら因達羅いんだら波夷羅はいら摩虎羅まこら真達羅しんだら招杜羅しょうとら毘羯羅びきゃら等と呼ばれる方々です。(※読み方諸説あり)

神農尊について

神農尊は、古代中国において医薬の祖とされた神様で、同じく医薬の仏・薬師さまと同じ働きをされる方として、私たちの病気や怪我に対して親身になって薬を施してくださるありがたい神様です。


管長挨拶

この度は、八色木薬師堂の寅歳御縁年秘仏御開帳に多くの皆様の御参拝をいただきまして、篤く御礼申し上げます。また、今回の御開帳に際して多くの方々の御協力と御尽力をたまわりましたことも、御本尊・八色木薬師瑠璃光如来さまに相代わって感謝の言葉をお伝え致したいと思います。

さて、令和の時代を迎えてから初となる今回の秘仏御開帳に際し、私は二つの異なる課題をもって臨むことと致しました。すなわち、「初めての試み・再びの取組みの交錯」、「この混迷する世情を、お薬師様がどのように見つめられるか」の二点です。

まず「初めての試み」とは、貞享3年(1686)の建立以来、村の人たちによってささやかに、大切に守られてきたこの薬師堂を、336年来初めて一般の皆さま向けにも参拝受入を始めたことです。また、より多くの若い方々にも興味をもって御参拝いただけるよう、近年の御朱印ブームの波に乗って、当薬師堂でも初めて御朱印を、多種多様に取り揃えて皆様の御要望に応じられるよう準備致しました。

そして「再びの取組み」とは、改めてこの八色木のお薬師様を、鳥海山とつながりある存在として再び捉え直したということです。悲しいことに私たちは、明治初年の神仏分離を経て、先人たちの古くからの信仰をそのまま受け継ぐことができぬまま、この御堂が鳥海山と深いつながりがあったことさえ、明治維新150年の激動の渦に呑み込まれ、時代の変遷、地域の過疎化とともに、すっかりどこかへ置き去りにしてしまっておりました。

しかし、お薬師様から放たれる瑠璃色の御威光は、今なお彩り鮮やかに、無量無辺でありました。最新の学術研究も踏まえつつ、古い文献を紐解いてみればみるほど、ここ八色木を含む藤島地区が、鳥海山を抱える庄内松山藩の大名行列に供された松嶺街道に接していたことで、隣接する余目・酒田方面とのつながりが大変深かったこと。この薬師堂が神社建造物でもあったことを示唆する、文献中にみられた「社壇」「社頭」という表現。今も残る境内の鳥居、御堂自体もY字の分岐点のどちらにも沿わず、まっすぐ鳥海山を背にして建てられていること。これら一つ一つが明らかとなるにつれ、私たちは、柔和なお顔立ちをされたお薬師様から、こうした事実を厳然と突きつけられた思いがいたしました。そして再びここ八色木薬師堂は、仏を祀る御堂でありながら、鳥海山の神様を薬師如来の御姿としてお祀りする、神仏習合の古き信仰を今に伝える貴重な「文化遺産」だという点について、これまでの認識を更に深めることができました。

こうして、「新しい試みと再びの取組み」・「温故知新」によってお薬師様の救いの光が、御尊顔から十方に照りわたり、より多くの方々と御縁が結ばれるよう願いを込めて、御本尊と五色の紐で繋がった「開帳結縁宝塔」東側には、上記を踏まえた『法華経』の経文「容顔甚奇妙 光明照十方 我適曾供養 今復還親近」と墨書致しました。

最後に「この混迷する世情を、お薬師様がどのように見つめられるか」という点については、現況令和2年(2020)以来、国の内外を新型コロナウイルスが猛威をふるい、令和4年(2022)現在も、いまだ終息の目途が立たぬ深刻な状況が続いております。そして目を世界に転じれば、本年2月以降に勃発した、ロシアによるウクライナ侵攻によって多くの人命が犠牲となり、人間としての尊厳が危機にさらされる重篤な事態に陥っています。

お薬師様はその御名前が示す通り、まずは医薬の仏様としてコロナ禍の終息にお力を存分に発揮いただくことが望まれますが、鳥海山のお薬師様には古代以来、兵乱・戦争が起きぬようにとの祈りがささげられてきたことを踏まえて、遠く離れたウクライナの地にも、早く平和と平穏な日々が取り戻されるよう、また地元・庄内地方の皆様にも安穏息災に、今年も実り多き秋を迎えられるようにと願いを込めて、「開帳結縁宝塔」西側には、謹んで「戦災疫難 早期終息 百穀成熟 無病息災」と書き入れました。

世界のあちこちから争いごとがなくなるよう、地域の皆様が無事に収穫のときを迎えていただけるよう、この寅歳御縁年の勝縁に際し、至心に御祈念申し上げ私の御挨拶と致します。

南無帰命頂礼八色木薬師瑠璃光如来 合掌