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於竹大日堂

於竹大日堂おたけだいにちどうは、江戸時代「大日如来の化身※1」とされた実在の女性、お竹さんを祀るお堂です。(※1神仏が人や動物の姿となって仮に現れること)

お竹さんは、生涯を通じて出羽三山でわさんざん(羽黒山・観世音菩薩、月山・阿弥陀如来、湯殿山・大日如来)と深い御縁を結ばれた方で、その慈悲深い行いにより、人々から「生きた大日如来だいにちにょらい」とあがめられました。今から約400年前の羽黒山麓の村に、湯殿山の大日如来様へ子授けを願った信心深い夫婦のもとへ、一人の女の子が授かりました。その子は「お竹」と名づけられ、すくすくと成長しましたが、10代前半にお母さんを亡くし、その菩提を弔うため観音巡礼の旅に出かけることになりました。旅の途中、困難に直面するたびに御仏に助けられ、なんとか無事に三十三所の参詣を終えて江戸に着くと、日本橋の大伝馬町だいでんまちょう佐久間さくま勘解由かげゆ家に奉公することになります。

それからお竹さんは、常に「南無阿弥陀仏」と念仏を唱え、主人を敬い、慈悲深く、人目につかぬ裏や下水の掃除といった人の嫌がる仕事にいたるまで、陰ひなたなく進んで仕事を見つけ、全てが自分の仕事であるかのようにこなす奉公人のお手本となる女性でした。その上、物を決して粗末にせず、自分のお給金や食事は貧しい人々に施し、自身はお勝手の流し口に麻袋を下げ、たまったご飯粒や野菜を洗って食べ、馬や鳥にも分け与えました。その行いは、すべてに感謝し、「もったいない、ありがたい」と感じる心が自然にあふれ出たもので、人に褒めてもらうため、認めてもらうためではありませんでした。こうしたお竹さん一貫した行い・人徳は、佐久間家の主人のみならず使用人、やがて江戸八百八町にも噂が広まり、人々から尊敬され慕われるようになりました。

その頃、武蔵国比企郡ひきのこおり(現在の埼玉県中部)に、生身の大日如来を拝したいとの願を立て、三十三年間にわたって遠く湯殿山の参詣を続ける乗蓮じょうれんという行者がおりました。そしてついに満願の参詣を終え、玄良坊げんりょうぼうという宿坊で身体を休めていると、不思議な夢のお告げがありました。

それは「お前の信心を讃え、生身の大日如来を拝ませよう。江戸大伝馬町の佐久間勘解由のもとに参りお竹を拝め。お竹こそ、大日如来のご化身であるぞ」というものでした。乗蓮の話を聞いた玄良坊の主人・宣安せんあんも共に江戸に上り、佐久間家の主人に訳を話しお竹さんを礼拝すると、お竹さんの全身から光明が発せられ、二人は感極まり礼拝を繰り返したのです。

その後のお竹さんは、ひたすら念仏三昧に明け暮れておりましたが、ついに寛永15(1638)年3月21日の朝、紫の雲がたなびく中、58歳で昇天されました。江戸中にお竹さんの死が伝わると人々は悲嘆にくれて、馬や雀までもが鳴き悲しんだといいます。

お竹さんの慈悲深く尊い人柄は、徳川五代将軍綱吉公の生母・桂昌院にも聞こえ、「奉公人のかがみ」として江戸城内の奥女中にも信仰されるところとなりました。またそのお姿は浮世絵、羽子板や凧にも描かれ、俳人小林一茶こばやしいっさの句、式亭三馬しきていさんば十返舎一九じっぺんしゃいっくの本、歌舞伎の題材になるなど、「於竹大日如来おたけだいにちにょらい」として広く江戸中に崇拝信仰されていきました。

佐久間家の主人は、京都から仏師を招いて於竹大日如来の造像を依頼し、香、華、灯明を絶やさず日夜供養しておりましたが、お竹さんの生まれ故郷である羽黒山の麓へ於竹大日像をお移しして、一人でも多くの人に於竹大日を知ってもらい、拝んでもらいたいと願うようになりました。そして、寛文6(1666)年、羽黒山別当天宥法印はぐろさんべっとうてんゆうほういんに願い、羽黒山正善院黄金堂はぐろさんしょうぜんいんこがねどうの境内にお堂を建ててお像を移し「於竹大日堂おたけだいにちどう」と名付けました。

於竹大日如来は、時代が変わった今でもあらゆる女性の守り本尊であり、厄除け、縁結び、子授け、安産、婦人病平癒の信仰を集めています。また、良い従業員とのご縁、商売繁盛、事業繁栄、社運隆昌などを願って参拝する会社経営の方も多く訪れています。

今も親しまれるお竹さん・ゆかりの地

浄土宗 善徳寺ぜんとくじ

境内にお竹さんのお墓があり、本堂にはしゃもじ型の於竹如来像がお祀りされています。命日にあたる毎年5月19日前後に法要が営まれ、地元各会の協賛により「お竹如来大縁日」も盛大に開催されています。
(東京都北区赤羽西6-15-21)

高野山真言宗 大安楽寺だいあんらくじ

本堂に於竹如来像がお祀りされています。毎年5月19日前後に地元保存会や近隣の住民、企業など、多くの方々が参列して法要が行われます。
(東京都中央区日本橋小伝馬町3-5)

浄土宗 心光院しんこういん

東京タワーの傍にある徳川家菩提寺、増上寺ぞうじょうじ山内に位置します。境内の於竹堂には於竹如来像、となりにはお竹さんが使用した「流し板」が、桂昌院けいしょういん(5代将軍綱吉公の生母)寄進の桐箱に納められ安置されています。
(東京都港区東麻布)
https://shinkoin.com/

浄土宗 選擇寺ぜんちゃくじ

嘉永2(1849)年8月、ここで実施された出開帳の記録を伝える「於竹大日供養塔」の石碑があります。
(千葉県木更津市中央1-5-6)

小津和紙

お竹さんの奉公先、佐久間家の屋敷跡に建つ創業360年以上の老舗和紙店。同店外の裏通りに「史跡於竹大日如来井戸跡」が整備保存されています。正善院では、お竹さんとの深い御縁により、小津商店さんの和紙をお竹さんの絵札や御朱印紙として使用しております。
(東京都中央区日本橋橋本町3-6-2)
https://www.ozuwashi.net/index.html