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藤島八色木薬師堂

藤島八色木薬師堂について

八色木薬師堂は、羽黒町手向にある羽黒山正善院の飛び地境内で、鶴岡市八色木地区にあります。今から三百年以上も昔の不思議な御縁によって地元の海藤家が管理する、薬師如来をお祀りする御堂です。

御堂には、中心となる薬師如来の他、仏を守護する十二神将、中国の医薬の神様・神農尊をお祀りしております。ここ八色木地区のある旧藤島町は、北に鳥海山を望む、庄内平野の内陸の中心部に位置し、同じく内陸の羽黒や余目と、沿岸の酒田方面を結ぶ交通の要衝でもあったため、江戸期には庄内松山藩の大名行列の休憩地として栄え、薬師堂は地区の人々の心の拠り所として大事に守られてきました。

ここに薬師堂が建てられたのは、延宝5年(1677)、落野目村(現・鶴岡市豊栄)の水田から一寸八分(約5.5cm)の薬師如来の御像が発見されたことにさかのぼります。その後、御像は水田の地主だった日向三左エ門によって屋敷内に御堂が建てられ、毎月8日に僧侶を呼んで手厚く供養されていましたが、次第に家内に不調を訴える者が続出したため、神子(巫女・女性霊能者)を呼んで占ってもらったところ、「自分は本来ここではなく八色木村の海藤徳右エ門に祀られるために現れたのだ」とのお告げがありました。そしてお告げから数年たった貞享3年(1686)の丙寅歳、八色木の海藤家によって現在の地に立派な御堂が建立されることとなり、大祭礼の催される12年ごとの寅歳の御縁年には、毎回盛大に御開帳供養が営まれ、獅子踊りや相撲などが奉納されてきました。

令和4年(2022)は薬師御尊像が落野目の水田から御出現になった延宝5年(1677)から数えて三45年目にあたり、現在地にお祀りされるようになった貞享3年(1686)から数えて336年目の御開帳となるのを機に、広く一般の皆様にも開堂させていただき沢山の方々に御参拝頂きました。

開堂日

4月17日 ※
8月17日 ※

拝観時間

11:00~15:00
(但し、11:00~12:00の御祈祷時間中は御参拝は出来ますが御朱印の対応は出来ませんのでご了承願います)

入堂拝観料

皆様から御朱印料・御祈祷料等にて頂戴した御浄財は、境内の整備保全に役立てさせていただきます。
多くの皆様の御参拝をたまわり、お薬師さまとの尊い御縁を結んでいただきますことを心よりご祈念申し上げます。

※開堂日以外に入堂参拝をご希望の方は、10名様以上(御1人500円の拝観料)で賜わります。1か月前にご連絡お願いします。

場所

八色木薬師堂
※薬師瑠璃光如来堂で検索
アクセス情報はこちら

駐車場

八栄島公民館駐車場を臨時駐車場としてお借りしております。車でお越しの方はこちらをご利用ください。路上駐車は絶対禁止ですので、ご協力をお願い致します。
駐車場MAPはこちら

 

御朱印について

開堂日(4月17日・8月17日の開堂時間内)は八色木薬師堂で対応します。それ以外は羽黒町手向の正善院にてご対応します。

用紙には大変貴重な地元産『荘内和紙 しな和紙』および、正善院の於竹大日堂にゆかりある、東京・日本橋の老舗紙店『小津和紙』を使用。
・書置きのみ
・各500円御志

秘仏本尊「薬師尊」
(荘内和紙 しな和紙)

秘仏本尊同体御変身「神農尊」
(荘内和紙)

秘仏本尊御神号「鳥海山大権現」
(小津和紙)

秘仏本尊守護「十二神将」
(小津和紙)

 

御祈祷について

ご祈祷料

・普通祈祷 3千円(読上祈祷と鈴御守)
・秋の特別祈祷 5千円(読上祈祷と鈴御守と御祈祷米と水)→新米収穫後10月17日御祈祷後の発送となります。
・特別祈祷 1万円
・特上祈祷 12万円(長さ約90cm×最大横幅20cm)

時間

11:00~12:00 御祈祷(※要予約)

お申込

※普通祈祷・特別祈祷ご希望の方は1週間前まで、特上祈祷申込の方は2週間前まで羽黒山正善院までお電話でお申込みください。 
ご祈祷後、お札をお渡しいたします。郵送ご希望の方もお申し出ください。


 

薬師如来について

薬師如来とは、その名の通り、仏様が私たちの心身の悩み苦しみを迅速に診断し、適切に薬を処方して治療してくれる医師のようであったことから、「薬師」さまとお呼びします。また、仏様の救いの光が瑠璃色(深い青色)のようであったため、正式名を「薬師瑠璃光如来」とお呼びしております。

薬師さまは、私たちの住む苦しみに満ちた娑婆しゃば世界から、はるか遠く東に離れた「浄瑠璃じょうるり世界」という土地を主宰しておられる仏様で、同じく西方の「極楽世界」という土地を主宰される阿弥陀さまと同様、私たちには大変なじみ深い仏様です。薬師さまは、修行して成仏なさる前に十二の御誓願(十二大願)を立てられたことが経典に説かれていますが、その中でも「心身の病に苦しむすべての人々を救いとりたい」という第七番目の願目がとくに有名で、全国各地の薬師如来をお祀りする寺院には、この御誓願におすがりして病気平癒を祈願する多くの参拝者が訪れています。

薬師さまの功徳が説かれる経典は様々なものがありますが、こうした「十二大願」の他、「鎮護国家(天皇や朝廷が安泰となり、国土に災害や兵乱が起こらず平和となる)」という徳目も説かれていたため、古代日本では特に重視されてきました。特に東北地方は、大和朝廷の支配に対立する人々(蝦夷)との境界地だったため、兵乱が起きないよう薬師さまの御像が数多く造像され、熱心な祈りがささげられてきました。

ここ庄内地方においても、鳥海山から北側は蝦夷が支配する地域だった時代もあり、こんにち「鳥海山」として親しまれる、日本海沿岸にそびえたつ、この高いお山の神様(大物忌神)は、実は薬師如来が仏としての姿を変え、神として山に鎮まっておられる、という信仰が形成されました(神仏習合)。

こうして鳥海山は、山から流れる川の水によって地元の人々にさまざまな恵みをもたらす豊漁・豊作の神、噴火をもたらす恐ろしい火山の神であると同時に、鎮護国家の仏として都の人々からも篤い崇敬を受けてきました。

そして、御山を拝礼する神社や仏閣が鳥海山の山麓の各地域ごとに建立されましたが、ここ八色木も、貞享3年(1686)に御堂が建立されたことをきっかけに、遠くに見える鳥海山を里から間近に拝むことのできる礼拝所として、仏教の御堂でありながら神社の鳥居が立つ、古くからの信仰の形式を残す貴重な御堂として名残をとどめています。

 

十二神将について

十二神将は、薬師如来を時計と同じ十二の方角(子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥)、十二の時間にわたって守護する夜叉(鬼神)の大将たちのことで、宮毘羅くびら伐折羅ばさら迷企羅めきら安底羅あんちら頞儞羅あんにら珊底羅さんちら因達羅いんだら波夷羅はいら摩虎羅まこら真達羅しんだら招杜羅しょうとら毘羯羅びきゃら等と呼ばれる方々です。(※読み方諸説あり)

 

神農尊について

神農尊は、古代中国において医薬の祖とされた神様で、同じく医薬の仏・薬師さまと同じ働きをされる方として、私たちの病気や怪我に対して親身になって薬を施してくださるありがたい神様です。