荒澤寺
荒澤寺について
羽黒山奥之院・荒澤寺は、三山御開山の能除聖者によってその礎が築かれました。聖者はまず、羽黒山中で苦行を積まれた後、天のお告げを受けて月山と湯殿山を開山されます。聖者は多くの困難の末、月山の頂上に至って阿弥陀如来の来迎を受け、湯殿山へ下ると、来訪を待っていた大日如来から尊い宝珠を授けられました。
聖者は羽黒山へ戻られると、荒澤の地に到り、宝珠をそれぞれ湯殿山の大日如来の荒ぶる御姿(不動明王)・柔和な御姿(地蔵菩薩)として祈りを込め、草庵をつくられます。そして、不動尊・地蔵尊から柴燈護摩供の秘法を伝授され、その際授かった尊い炎を永く絶やさぬよう「常火堂」を建てて後世に残されました。
それから荒澤は弟子に引き継がれてのち、徐々に堂舎が整い、寺名も荒澤寺として定着します。以降、聖者が残された常火が山内の様々な重要行事に用いられたことから、荒澤の地は草創以来の根本の灯を護持する霊域として、山内でも格別の扱いを受けました。そして「羽黒山最奥の霊地」を意味する「奥之院」という称号をかかげ、「荒澤三宿」と呼ばれた<聖之院・北之院・経堂院>の三院を中心に運営され発展の道を歩み続けましたが、惜しくも幕末期の失火や明治期の神仏分離により、わずかな堂塔が残るばかりとなってしまいました。
しかし、様々な困難や混乱を経ても、荒澤の地は御開山能除聖者の残された羽黒山の信仰において、今も昔も変わることのない、最も神聖かつ根本唯一の霊地として、今日まで尊崇され 熱い祈りがささげられています。
現在、荒澤寺は本堂能除殿、地蔵堂、常火堂等の堂宇が並び立ち、羽黒山修験道の根本精神を伝える峰中修行はここ、荒澤の地を中心に毎年厳修されております。
能除聖者御詠「くらきよを あきらけくこそ てらすらし のりのきりびの たゆることなく」